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スペシャル機関車・毛沢東号の乗り方

安住生活 2019-10-31

豊台機関区から姿を現した6代目毛沢東号。このときは単機回送で北京駅まで向かった。2015年撮影


 日本でのブルートレイン世代の方なら機関車の前に「はやぶさ」「富士」「さくら」「あさかぜ」「北斗星」「北陸」「日本海」といった燦然と輝くヘッドマークを見てこういう寝台特急に憧れた方も少なくない。そんなブルートレインも気がつけばサンライズと不定期列車を除けばすでに全滅の状況にあるのが今の日本の現状だ。

 しかし、海外に目を向けると、例えば中国では毛沢東号という毛沢東の胸像を引っさげた装飾機関車が走っている。この毛沢東号といった機関車は一体何者なのだろうか?また、この機関車が牽引する列車に乗るにはどのようなテクニックが必要なのだろうか。


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日本にはないスペシャル機関車



北京駅でT1次と連結をする毛沢東号。2015年撮影

 今でこそ動車組と高速列車が中国全土を走る列車の全体の7割を占めているが、それ以前は機関車が客車を牽引する旅客列車だらけだった。そのなかで「党員号」「先鋒号」「青年文明号」「五四紅旗号」「民兵号」のマークを付けた機関車が走っていた。


7連ホーンが目立つ東風11型128号の先鋒号、2005年撮影


 これは、その機関車が所属する機関区で模範となる活動を行った組織や職場などが中国鉄道部から表彰され、一種の社会的シンボルとして扱われる。

 日本のような「富士」「さくら」といった列車の名称、愛称ではなくあくまでも職場のシンボル機関車・列車として扱われるため、一般の乗客にはまったくと言っていいほど関係ないため、どのように感じるのかはその人次第である。


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毛沢東号の由来


北京市の中国鉄道博物館東郊館にある初代毛沢東号解放型304号

 それでは「毛沢東」号とは一体何なのだろうか。ネットで調べてみると中国鉄道で使用される機関車のうち、中国の発展に貢献してきた指導者たちを記念した機関車であり、別名偉人号とも呼ばれている。そして偉大なる人物の胸像を機関車の正面に飾り偉人号としているのであった。
 偉人号は毛沢東号の他にも周恩来号、朱徳号、鄧小平号、雷鋒号、黄継光号などがある(鄧小平号だけは生前個人崇拝を嫌っていたためレリーフはない、黄継光号は胸像はなく、機関車の正面とサイドに黄継光号と書かれている)。
 毛沢東号の誕生は意外と早く1946年10月30日に蒸気機関車の解放型304号として運行してきた。この歴代の機関車は、北京の豊台機関区に所属している。
 現在の6代目は、2014年12月26日に大連で製造された電気機関車の和諧D3D型1893号で北京西と長沙間のZ1/2次の列車を担当している。車番の1893とは、毛沢東の生誕年を意味している。



豊台で見かけた4代目毛沢東号東風4D型1893号

 流石にスペシャルな機関車ともなると、他車と比べ塗装も独特なものになり、正面は豪華なレリーフが飾られ正面上には5本のホーンが連なる特別仕様になる。
 ちなみに毛沢東号以外のスペシャル機関車はどの列車を担当しているか分からないため、地道に調べるしかないのだ。特別ダイヤを設けているわけでもなく、普通に一般的な旅客列車や貨物運行に就いている。

 毛沢東号もZ1/2次を牽引する6代目より以前は貨物担当だった。
 なお、周恩来号は上海、朱徳号はハルビン、黄継光号はハルビンチチハル、雷鋒号は蘭州銀川、鄧小平号は広東で運行している。

 「究極のオンリーワン」となっているこれらの機関車を探し出しすべて写真に収めるのも面白い。


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一番列車としての地位


北京から長沙までT1次を牽引する毛沢東号。2015年撮影

 ちなみにこの機関車が牽引するZ1/2次は、かつては1番(1次)列車と呼ばれていた。Zとは旅客列車の直達(ZhiDa)のピンイン表記から英文字のZを使用したもの。

 このZ1/2次は2016年5月14日より北京西と長沙間で運行している。1次は北京から湖南省の長沙まで、2次は長沙から北京までの運行だ。なぜこの列車が1番列車扱いなのかというと、やはり長沙が毛沢東の故郷である韶山から近いことだからだろう。

 

 中国の列車は最初から「はやぶさ」「のぞみ」といった名称はなく、すべて列車番号で構成されている。切符の窓口で「和諧号ください」と言っても「そんなものはない」で終わってしまう。

 今ではすっかりGやDが付く高速列車や動車組の影にすっかり隠れてしまっていたが、15年ほど前までZ列車そのものは地方から北京に向かう花形列車のひとつだった。

 ネットで色々調べてみると、この列車の誕生は1975年と書かれており、1980年代以降の中国の歴代時刻表を見ると、07年に動車組が登場するまで1/2次はあらゆる列車のなかでもランクの高い優等列車だった。1997年にK1/2次、2000年にT1/2次と変わり、今はZ1/2次で落ち着いている。

 本来の1番列車は、北京から中ソ国境の満洲里を越えてシベリア鉄道を経由して旧ソ連首都のモスクワまで向かう国際列車が本当の1番列車だったが、1969年に起こった中ソ間の対立の煽りを受けて19/20次に変わっている。
   その間1/2次は6年間の空白があったが、75年に北京~長沙間の列車で決定した。
 ときどき列車の相部屋で筆者が中国の鉄道が好きだと知った高年配の方が「中国で一番最初に走った列車は北京と長沙を結ぶ1番列車なんだよ」なんて自慢気に聞かされたりしたが、やはり偉大なる指導者の出身地が1番列車に当たるということは政治的にもインパクトが大きい。
 この列車に毛沢東号が牽引することで真の1番列車に変身するのだった。


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毛沢東号の運行スケジュール


北京西駅に到着したZ2次。牽引機である毛沢東号は、他の列車とは違うオーラを放っていた

 Z1/2次は毎日走っているが、担当する機関車の毛沢東号は毎日運行していない。1日目は長沙に向かい、2日目は北京に向かい、3日目は機関区で休むというスケジュールとなっている。

 自分が調べたときは、ちょうど中国語のネットで毛沢東号特集をしており、担当の機関士に密着取材を行っていたため、そこからカレンダーを見て長沙行き、長沙行き、北京西行きの運行日を何度も確認して運行日を割り出した。


  例えば11月だと

 11月2日長沙方面

 11月3日北京西方面

 11月5日長沙方面

 11月6日北京西方面

 11月8日長沙方面

 11月9日北京西方面

 11月11日長沙方面

 11月12日北京西方面

 11月14日長沙方面

 11月15日北京西方面 

 などが運行日。


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実際にZ2次に乗ってみた



長沙駅に停車しているZ2次のサボ(行き先表示)なお、Z列車が登場した04年からしばらくは北京〜上海や北京〜哈尔濱として運行していた

 今回は10月某日に長沙から北京西までZ2次に乗ってきた。まずカレンダーから運行日をチェック。

 Z1/2次の編成は長沙方面から1~12硬臥車、13軟臥車、14食堂車、15~19硬座車(2両欠)、北京方面となっている。

 疲労の少ない軟臥車に乗ることが目標のため、理想は北京西からZ1次を乗りたかったが、軟臥車の位置が13両目に当たるため先頭まで行くのが遠く、先頭車まで撮影に行って戻ってくるのに時間が足りないと考え軟臥車から先頭車まで近いZ2次をチョイスした。

 残念ながらZ1/2次はかつての優等列車という地位はすでにないが、毛沢東号が牽引することで輝きを放つのであった。

 

 長沙から北京方面の切符は12306で30日前から買えるが、発売開始早々Z2次の軟臥切符は売り切れてしまうので油断はできない。発売開始3日目ごろ確認したら運良く残っていたためすぐに買った。ちなみに長沙行きZ1/2次は当初は軟臥車はなく17年に増やしたとのこと。おっかねー。

 乗車日はお昼に広州南駅から長沙南行きの高速列車に乗り、午後同駅から長沙駅まで地下鉄で移動。大体25分だった。


長沙駅駅舎のてっぺんにあるものは聖火のように見えて実は長沙シンボルの唐辛子である

 地下鉄長沙駅から地上に出ると建物の一番てっぺんに同市のシンボルである唐辛子がそびえる長沙駅を発見。

 中に入るとちょうど武漢行き列車がすべて2次安全検査をしていた。それをクリアして軟席待合室に向かおうとするが…ない。それらしき雰囲気が出ている待合室は第5待合室となっており、以前(15年)はここに毛沢東の石像があったのに…とガッカリした。

 

 ちなみに停車ホームは1番列車にふさわしい1番ホーム。改札が始まると同時に13号車の軟臥車までダッシュし。軟臥個室に荷物を置いた後は先頭に向かった。

 唯一の心配が、別の機関車だったらどうしようだったが、それは杞憂に終わった。


毛沢東号は何度か見かけたが、改めて見直すとやっぱりオーラを感じる(笑)

 堂々とした毛沢東のレリーフを付けた和諧D3D型1893号電気機関車が先頭車にいたのだ。これでもう広州に帰ってもいいというほどの満足だった(笑)。もちろんこの機関車を激しく撮影した(激パ)のは言うまでもない。


軟臥車の中は清潔でテーブル下には充電用電源もある

 客車は最高時速160㎞の25T系客車で途中駅停車でもトイレが使用できる。

 軟臥車は流石に清潔感があり、個室内にはスマホ充電用の電源もバッチリついている。所属は広州局鉄路集団の長沙客運エリアとなっている。

 車内はすぐに埋まり17時42分の発車を待つのみとなった。

 発車して18時までは明るかったがすぐに陽は落ちた。冬になると日の入りももっと早くなるため、撮り鉄を考えているなら5月から10月上旬をお薦めする。


Z2次の食堂車メニューと車販弁当

 食堂車に行くと結構空いていたが、メニューを見ると皆辛そうな料理ばかり。隣テーブルの人は山盛りビーマンの中から肉を突っついている状態だったので、それだと食欲が湧かないため、見た目がいい25元の車内弁当で済ませた。

 

 列車は途中岳陽と武昌(湖北省武漢市)に到着。21時台の武昌駅では大勢の人が乗り込み、すでに個室内で横になっていたがガヤガヤ声に目が覚めるほどだった。


軟臥車の朝よく見る光景。現時点で20分ほど遅延していた

 翌日目が覚めると河北省保定市を過ぎた辺りを走行していた。朝食は味のないお粥と野菜茹でたまごのセットだったので、広州から持ち込んだカップ麺焼きそばを食べた。

 列車は20分ほど遅れて北京西駅に到着。こちらも1番ホームだった。列車から降りたら再び先頭まで走り、東から出た太陽の光を浴びる毛沢東号機関車を撮影して駅の外に出た。

Z2次データ

区間:長沙〜北京西

距離:1587㎞

運行:17時42分〜翌日8時16分

時間:14時間34分

料金:硬座189.5元、硬臥343.5元、軟臥527.5元



END


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